美術圖案畫報 1〜4
ビジュツ ズアン ガホウ
著者 竹内栖鳳画
出版元 本田雲錦堂
刊行年 明治35
解説 彩色木版図案66図 第3号傷み 他は綺麗 顧問 金子錦二 主任 上野清江 全4冊
美術図案画報 図案 模様 彩色木版画 木版刷 版画 彩色木版刷
竹内 栖鳳(たけうち せいほう)1864年~ 1942年は、戦前の日本画家。
近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家。
最初は棲鳳と号した。(または霞中庵)動物を描けば、その匂いまで描くといわれた。
四条派の土田英林に絵を習い始め、7歳の時に同派の名手として知られた円山・四条派の幸野楳嶺の私塾へ正式に入門する。
この頃から頭角を現し、翌年には私塾の工芸長となり、「楳嶺四天王」(栖鳳と都路華香、谷口香嶠、菊池芳文の高弟4名を指す)の筆頭と呼ばれるようになる。
幸野楳嶺は「画家にとっての写生帖は武士の帯刀である」と説き写生を奨励した。
栖鳳は幸野の教えを励行し、当時日本ではなかなか見られなかった珍しいトラやライオンなどの動物から雀や猫などの身近な動物まで多くの動物を描いた。