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若冲画譜

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275,000円(税25,000円)
若冲画譜

著者 伊藤若冲著、近藤徳太郎編輯、山田幸光太郎縮図
出版元 芸艸堂
初版年 明23
刊行年 明41
サイズ(判型) 34×26.5

解説 再版 彩色木版100図 各表紙に蔵書票

彩色木版 画譜 伊藤若冲

伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう、1716年3月1日(正徳6年2月8日) - 1800年10月27日(寛政12年9月10日))は、江戸時代の画家。
1716年(正徳6年)、京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」(家名と併せて通称「枡源(ますげん)」)の長男として生を受ける。
若冲という人物は絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかったという。商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、妻も娶らなかった。

若冲は幼少期から優れた画才を発揮。
10代半ばを過ぎたころに狩野派の流れを汲む大岡春卜に師事したとされます。しかし狩野派の厳しい教えにはなじめなかったようで、中国からもたらされた宋元画に惹かれ、熱心に模写して技術を習得しました。

生家が商う野菜や錦市場に並ぶ魚、自宅の庭で飼っていた鶏など、身の回りのものをつぶさに観察し、写生することによって腕を磨いていきます。
こうして若冲は、動植物の姿を生き生きと躍動的に、ありのままに細やかに描くという画風と技術の素地を養ったのです。

若冲が23歳になったころ、不幸にも父が急逝。長男であることから「桝源」4代目を継いだのですが、絵を描くことが楽しくて仕方がないといった有り様で、家業そっちのけで写生を行っていたと伝わります。

そんな日々の中、学芸全般に秀でた博識の大典禅師と出会い、画才を認められたことで、若冲は禅に帰依していきます。
そして、40歳になったころ、次第に家督を譲って、大典禅師が住持であった相国寺へ移り住み、絵師として身を立てることを目ざすようになりました。
若冲の凄さはディテールの圧倒的な描き込み、さらには200年以上も前に描かれたとはとても思えない色彩の鮮やかさにあります。
若冲の作品が色彩のミラクルワールドと言われ、今も鮮やかな発色が失われていない理由は、その描写力の高さもさることながら、極めて質の高い、岩絵具を、きめの細かい、こちらも特別な画絹の上に薄塗りしていたからだろうと考えられています。

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